鏡 九枚目

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更新日 2013-08-17 | 作成日 2008-04-13

鏡の中の自分

交錯する理想と現実

「思索(理性)」

何のために生きるのか?
死とは?
人とは何か?
幸せとは?

幸せになることは人の義務なんじゃないだろうか・・・? 

Myself9.jpg自分はいったい何のために生きているのだろう?子供の頃からずっと持ち続けていた疑問。

生きていることに意味は有るのだろうか?

人はいつかは死ぬ、消えてしまう。

 

何かを作り出し残せばそれは自分の死んだ後も残る。

でも、それだって永遠じゃない。物はいつか壊れるもの。

じゃあ何かを成せば?人の記憶に永遠に残るかもしれない。

 

確かに長く残るかもしれないけどそれも永遠ではない。

だって地球だって永遠じゃないし、宇宙だって永遠じゃない。

まあ、そこまで極端なことを言わなくても何れ記憶だって消えることは避けられないことぐらい分かる。

 

永遠なんてこの世にはない、何もかも結局は無に帰るんじゃないの?

全ては無駄、何も残らない。じゃあ私達が生きている意味って何?

そもそも意味ってあるの?

 

結果を求める限り意味はない。生まれてきた理由なんてたぶん無いんだ。

もし意味を求めるなら結果を求めては駄目、過程が重要なんだ。

何を残したかではなくどんな風に生きたかそれ自体が重要なんだ。

でなければ生きている意味なんて無いんだ、だって結局は何も残らないんだもの。

 

そう考えると死っていうものの見方も変わる。

死ぬ、自分が居なくなる、自分という存在が消えちゃう。

一見それはとても恐いことに感じるけど、全てに終わりがあるなら同じ事。

限られた時間だからこそ必死になって生きることが出来るのかもしれない。

 

結果に意味を求めるなら短いタイムリミットは厳しいけど、過程に意味を求めるなら、どれだけ必死に生きたか、どれだけ幸せに生きたか、どれだけ充実して生きたかなら時間の長さはあまり問題じゃないよね。

私の人生という劇の中で頑張って自分という役割を演じればいい。劇の上演時間は問題じゃない。

 

死は特別なものじゃなくて生の一部。

始まりがあって終わりがある、生に対する影のようなもの。

 

そういえば人っていったい何なんだろう。

こうやって色々と考えている自分は何者なんだろう。

生きることに疑問を感じる生物なんて人間だけじゃないだろうか?

 

人を人たらしめているものって何だろう。

人間だって動物、それは分かってる。でも人間と動物は違うと思う。その違いは何だろう。

それが理性じゃないだろうか。

時に欲望を封じ、感情を殺し、正しいと思うことのために自分をコントロールできる。

動物として生きるために与えられた能力を超えて制御できる理性があることじゃないだろうか。

 

逆に言えば理性がなければ動物と変わらない。

ということは感情の赴くままに、欲望の赴くままに行動する人間は人とは呼べないね。

 

もし人として生きて其処に意味を求めるなら幸せになることは義務といっても良いかもしれない。

じゃあ幸せって何だろう。何が幸せなんだろう。

たぶん幸せに形はない、だって何が幸せかを決めるのはその人自身だもの。

正に十人十色、幸せ自体在るのか無いのか・・・受け手次第だから難しいね。

 

望めばきりがない。

でも、全てのものが何れ無くなるんだよね。

そう考えると本当に大切なものってそれ程多くない。

自分が明日死ぬと考えたときに大切だと思うもの、たぶんそれが本当に大切なもの。

それはきっと形在るものじゃないよね。

 

誇れる自分、充実した人生、大切な人々と過ごした時間。

自分が生きてきた中で得たそういった幸せな記憶じゃないかな。

さて、今日も義務を果たすために頑張りますか。

 

2004.7.31 Regulus

 

 

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